学部3年生 後期成果展「Delta -可能性の手触り-」

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可能性の手触り

 今年7月に行った第1回目のDELTA展において私たちは、自分たちの歴史感覚を見つめることを展示者共通のテーマとして設定した。そのために、私たちの今いる時間(現在)と私たちがいなかった時間(過去)、そして私たちにとってあり得るかもしれない時間(未来)とを有機的に関係させることのできるような視座(第4の点)を見出すことができたとき、DELTA(Δ)は単なる記号を超えて立体的に立ち上がるだろうという仮説を立て、各々の制作によって現在から第4の点までの道筋を提示しようと試みた。そうした前回の問題設定の延長上で、今回は未来の時間(未だ到来していない歴史)に対する想像力に焦点を当てる。 
未来とは可能性であり、可能性は技術によって現実化する。私たちの現実を物理的に可能にしているのは、種々様々な技術である。定義上、可能性それ自体は直接に触知することができない。しかし、新しい技術の発明は確かに私たちの未来に「手触り」のようなものを与える。 
ところで、あるひとつの技術もそれ自身の中に別様の可能性を孕んでいるはずだ。だとすると、そのうちのある可能性は実現化し、ある可能性は現実化しないのは何に依るのだろう?経済の論理の中にあっては、生産効率という判断基準が大きく作用する。たとえば写真技術の発明によって絵画が瀕した危機とは、絵画の絵画性が揺るがされることよりも前に、単に画家が失業することに対する動揺であっただろう。それでも絵画は依然として生き残っている。それは絵画が写真によってとって代わられた可能性とは、別の可能性を孕んでいたことの現れだが、これは改めて言うまでもないことだ。なぜならたった一つの可能性しか持ちえないような技術などあり得ないのだから。もしそのように見えるとすれば、別の可能性は単に顧みられることがないか、あるいはなんらかの仕方で隠されているのかもしれない。アートの可能性として、アートは技術の別の可能性に手触りを与えることができるのかを問題にしてみる。アートは非生産性や負の可能性も顧慮に入れるという意味において単なる生産性の論理ではない。生産性の論理とは切れたところで技術を思考したりまた使用したりすることで、いまこの現実を可能にしているのとは別の可能性に手触りを与えることができるだろうか?アートはそのような仕方で、未来を物理的に想像できるだろうか?

会期 2013年11月22日(金)-26日(火)
開館時間 午前11時30分-午後7時
レセプションパーティー 11月23日(土)18:00-
観覧料 無料
web http://ima.fa.geidai.ac.jp/event/delta2_2013/
twitter @geidaisentan_13
会場 BankART Studio NYK
主催 Delta展実行委員会

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